高瀬舟

Source text: 青空文庫 Pitch accent analysis: akusento parser
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高瀬舟たかせぶねは京都きょうとの高瀬たかせ川がわを上下じょうげする小舟こぶねである。徳川とくがわ時代じだいに京都きょうとの罪人ざいにんが遠島えんとうを申もうし渡わたされると、本人ほんにんの親類しんるいが牢屋敷ろうやしきへ呼よび出だされて、そこで暇乞いとまごいをすることを許ゆるされた。それから罪人ざいにんは高瀬舟たかせぶねに載のせられて、大阪おおさかへ回まわされることであった。それを護送ごそうするのは、京都きょうと町まち奉行ぶぎょうの配下はいかにいる同心どうしんで、この同心どうしんは罪人ざいにんの親類しんるいの中なかで、おも立だった一人ひとりを大阪おおさかまで同船どうせんさせることを許ゆるす慣例かんれいであった。これは上かみへ通とおった事ことではないが、いわゆる大目おおめに見みるのであった、黙許もっきょであった。

当時とうじ遠島えんとうを申もうし渡わたされた罪人ざいにんは、もちろん重おもい科とがを犯おかしたものと認みとめられた人ひとではあるが、決けっして盗ぬすみをするために、人ひとを殺ころし火ひを放はなったというような、獰悪どうあくな人物じんぶつが多数たすうを占しめていたわけではない。高瀬舟たかせぶねに乗のる罪人ざいにんの過半かはんは、いわゆる心得こころえ違ちがいのために、思おもわぬ科とがを犯おかした人ひとであった。有ありふれた例れいをあげてみれば、当時とうじ相対死あいたいじにと言いった情死じょうしをはかって、相手あいての女おんなを殺ころして、自分じぶんだけ生いき残のこった男おとこというような類たぐいである。

そういう罪人ざいにんを載のせて、入相いりあいの鐘かねの鳴なるころにこぎ出だされた高瀬舟たかせぶねは、黒くろずんだ京都きょうとの町まちの家々いえいえを両岸りょうがんに見みつつ、東ひがしへ走はしって、加茂川かもがわを横よこぎって下くだるのであった。この舟ふねの中なかで、罪人ざいにんとその親類しんるいの者ものとは夜よどおし身みの上うえを語かたり合あう。いつもいつも悔くやんでも返かえらぬ繰くり言ごとである。護送ごそうの役やくをする同心どうしんは、そばでそれを聞きいて、罪人ざいにんを出だした親戚しんせき眷族けんぞくの悲惨ひさんな境遇きょうぐうを細こまかに知しることができた。所詮しょせん町まち奉行ぶぎょうの白州しらすで、表向おもてむきの口供こうきょうを聞きいたり、役所やくしょの机つくえの上うえで、口書くちがきを読よんだりする役人やくにんの夢ゆめにもうかがうことのできぬ境遇きょうぐうである。

同心どうしんを勤つとめる人ひとにも、いろいろの性質せいしつがあるから、この時ときただうるさいと思おもって、耳みみをおおいたく思おもう冷淡れいたんな同心どうしんがあるかと思おもえば、またしみじみと人ひとの哀あわれを身みに引ひき受うけて、役やくがらゆえ気色けしきには見みせぬながら、無言むごんのうちにひそかに胸むねを痛いためる同心どうしんもあった。場合ばあいによって非常ひじょうに悲惨ひさんな境遇きょうぐうに陥おちいった罪人ざいにんとその親類しんるいとを、特とくに心弱こころよわい、涙なみだもろい同心どうしんが宰領さいりょうしてゆくことになると、その同心どうしんは不覚ふかくの涙なみだを禁きんじ得えぬのであった。

そこで高瀬舟たかせぶねの護送ごそうは、町まち奉行ぶぎょう所じょの同心どうしん仲間なかまで不快ふかいな職務しょくむとしてきらわれていた。

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いつのころであったか。たぶん江戸えどで白河しらかわ楽翁らくおう侯こうが政柄せいへいを執とっていた寛政かんせいのころででもあっただろう。智恩ちおん院いんの桜さくらが入相いりあいの鐘かねに散ちる春はるの夕ゆうべに、これまで類るいのない、珍めずらしい罪人ざいにんが高瀬舟たかせぶねに載のせられた。

それは名なを喜助きすけと言いって、30さんじゅっ歳さいばかりになる、住所じゅうしょ不定ふじょうの男おとこである。もとより牢屋敷ろうやしきに呼よび出だされるような親類しんるいはないので、舟ふねにもただ一人ひとりで乗のった。

護送ごそうを命めいぜられて、いっしょに舟ふねに乗のり込こんだ同心どうしん羽田はねだ庄兵衛しょうべえは、ただ喜助きすけが弟おとうと殺ごろしの罪人ざいにんだということだけを聞きいていた。さて牢屋敷ろうやしきから棧橋さんばしまで連つれて来くる間あいだ、この痩肉やせじしの、色いろの青白あおじろい喜助きすけの様子ようすを見みるに、いかにも神妙しんびょうに、いかにもおとなしく、自分じぶんをば公儀こうぎの役人やくにんとして敬うやまって、何事なにごとにつけても逆さからわぬようにしている。しかもそれが、罪人ざいにんの間あいだに往々おうおう見受みうけるような、温順おんじゅんを装よそおって権勢けんせいに媚こびる態度たいどではない。

庄兵衛しょうべえは不思議ふしぎに思おもった。そして舟ふねに乗のってからも、単たんに役目やくめの表おもてで見張みはっているばかりでなく、絶たえず喜助きすけの挙動きょどうに、細こまかい注意ちゅういをしていた。

その日ひは暮くれ方がたから風かぜがやんで、空そら一面いちめんをおおった薄うすい雲くもが、月つきの輪郭りんかくをかすませ、ようよう近寄ちかよって来くる夏なつの温あたたかさが、両岸りょうがんの土つちからも、川床かわどこの土つちからも、もやになって立たちのぼるかと思おもわれる夜よるであった。下京しもきょうの町まちを離はなれて、加茂川かもがわを横よこぎったころからは、あたりがひっそりとして、ただ舳へさきにさかれる水みずのささやきを聞きくのみである。

夜舟よふねで寝ねることは、罪人ざいにんにも許ゆるされているのに、喜助きすけは横よこになろうともせず、雲くもの濃淡のうたんに従したがって、光ひかりの増ましたり減げんじたりする月つきを仰あおいで、黙だまっている。その額ひたいは晴はれやかで目めにはかすかなかがやきがある。

庄兵衛しょうべえはまともには見みていぬが、始終しじゅう喜助きすけの顔かおから目めを離はなさずにいる。そして不思議ふしぎだ、不思議ふしぎだと、心こころの内うちで繰くり返かえしている。それは喜助きすけの顔かおが縦たてから見みても、横よこから見みても、いかにも楽たのしそうで、もし役人やくにんに対たいする気きがねがなかったなら、口笛くちぶえを吹ふきはじめるとか、鼻歌はなうたを歌うたい出だすとかしそうに思おもわれたからである。

庄兵衛しょうべえは心こころの内うちに思おもった。これまでこの高瀬舟たかせぶねの宰領さいりょうをしたことは幾いくたびだか知しれない。しかし載のせてゆく罪人ざいにんは、いつもほとんど同おなじように、目めも当あてられぬ気きの毒どくな様子ようすをしていた。それにこの男おとこはどうしたのだろう。遊山船ゆさんぶねにでも乗のったような顔かおをしている。罪つみは弟おとうとを殺ころしたのだそうだが、よしやその弟おとうとが悪わるいやつで、それをどんなゆきがかりになって殺ころしたにせよ、人ひとの情じょうとしていい心持こころもちはせぬはずである。この色いろの青あおいやせ男おとこが、その人ひとの情じょうというものが全まったく欠かけているほどの、世よにもまれな悪人あくにんであろうか。どうもそうは思おもわれない。ひょっと気きでも狂くるっているのではあるまいか。いやいや。それにしては何なに一ひとつつじつまの合あわぬことばや挙動きょどうがない。この男おとこはどうしたのだろう。庄兵衛しょうべえがためには喜助きすけの態度たいどが考かんがえれば考かんがえるほどわからなくなるのである。

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しばらくして、庄兵衛しょうべえはこらえ切きれなくなって呼よびかけた。「喜助きすけ。お前まえ何なにを思おもっているのか。」

「はい」と言いってあたりを見回みまわした喜助きすけは、何事なにごとをかお役人やくにんに見みとがめられたのではないかと気きづかうらしく、居いずまいを直なおして庄兵衛しょうべえの気色けしきを伺うかがった。

庄兵衛しょうべえは自分じぶんが突然とつぜん問といを発はっした動機どうきを明あかして、役目やくめを離はなれた応対おうたいを求もとめる言いいわけをしなくてはならぬように感かんじた。そこでこう言いった。「いや。別べつにわけがあって聞きいたのではない。実じつはな、おれはさっきからお前まえの島しまへゆく心持こころもちが聞きいてみたかったのだ。おれはこれまでこの舟ふねでおおぜいの人ひとを島しまへ送おくった。それはずいぶんいろいろな身みの上うえの人ひとだったが、どれもどれも島しまへゆくのを悲かなしがって、見送みおくりに来きて、いっしょに舟ふねに乗のる親類しんるいのものと、夜よどおし泣なくにきまっていた。それにお前まえの様子ようすを見みれば、どうも島しまへゆくのを苦くにしてはいないようだ。いったいお前まえはどう思おもっているのだい。」

喜助きすけはにっこり笑わらった。「御ご親切しんせつにおっしゃってくだすって、ありがとうございます。なるほど島しまへゆくということは、ほかの人ひとには悲かなしい事ことでございましょう。その心持こころもちはわたくしにも思おもいやってみることができます。しかしそれは世間せけんでらくをしていた人ひとだからでございます。京都きょうとは結構けっこうな土地とちではございますが、その結構けっこうな土地とちで、これまでわたくしのいたして参まいったような苦くるしみは、どこへ参まいってもなかろうと存ぞんじます。お上かみのお慈悲じひで、命いのちを助たすけて島しまへやってくださいます。島しまはよしやつらい所ところでも、鬼おにのすむ所ところではございますまい。わたくしはこれまで、どこといって自分じぶんのいていい所ところというものがございませんでした。こん度たびお上かみで島しまにいろとおっしゃってくださいます。そのいろとおっしゃる所ところに落おち着ついていることができますのが、まず何なによりもありがたい事ことでございます。それにわたくしはこんなにかよわいからだではございますが、ついぞ病気びょうきをいたしたことはございませんから、島しまへ行いってから、どんなつらい仕事しごとをしたって、からだを痛いためるようなことはあるまいと存ぞんじます。それからこん度島たくしまへおやりくださるにつきまして、200にひゃく文もんの鳥目ちょうもくをいただきました。それをここに持もっております。」こう言いいかけて、喜助きすけは胸むねに手てを当あてた。遠島えんとうを仰おおせつけられるものには、鳥目ちょうもく200にひゃく銅どうをつかわすというのは、当時とうじの掟おきてであった。

喜助きすけはことばをついだ。「お恥はずかしい事ことを申もうし上あげなくてはなりませぬが、わたくしは今日こんにちまで200にひゃく文もんというお足あしを、こうしてふところに入いれて持もっていたことはございませぬ。どこかで仕事しごとに取とりつきたいと思おもって、仕事しごとを尋たずねて歩あるきまして、それが見みつかり次第しだい、骨ほねを惜おしまずに働はたらきました。そしてもらった銭ぜには、いつも右みぎから左ひだりへ人手ひとでに渡わたさなくてはなりませなんだ。それも現金げんきんで物ものが買かって食たべられる時ときは、わたくしの工面くめんのいい時ときで、たいていは借かりたものを返かえして、またあとを借かりたのでございます。それがお牢ろうにはいってからは、仕事しごとをせずに食たべさせていただきます。わたくしはそればかりでも、お上かみに対たいして済すまない事ことをいたしているようでなりませぬ。それにお牢ろうを出でる時ときに、この200にひゃく文もんをいただきましたのでございます。こうして相変あいかわらずお上かみの物ものを食たべていて見みますれば、この200にひゃく文もんはわたくしが使つかわずに持もっていることができます。お足あしを自分じぶんの物ものにして持もっているということは、わたくしにとっては、これが始はじめでございます。島しまへ行いってみますまでは、どんな仕事しごとができるかわかりませんが、わたくしはこの200にひゃく文もんを島しまでする仕事しごとの本手もとでにしようと楽たのしんでおります。」こう言いって、喜助きすけは口くちをつぐんだ。

庄兵衛しょうべえは「うん、そうかい」とは言いったが、聞きく事ことごとにあまり意表いひょうに出でたので、これもしばらく何なにも言いうことができずに、考かんがえ込こんで黙だまっていた。

庄兵衛しょうべえはかれこれ初老しょろうに手ての届とどく年としになっていて、もう女房にょうぼうに子供こどもを四人よにん生うませている。それに老母ろうぼが生いきているので、家いえは七人しちにん暮くらしである。平生ひらお人じんには吝嗇りんしょくと言いわれるほどの、倹約けんやくな生活せいかつをしていて、衣類いるいは自分じぶんが役目やくめのために着きるもののほか、寝巻ねまきしかこしらえぬくらいにしている。しかし不幸ふこうな事ことには、妻つまをいい身代しんだいの商人しょうにんの家いえから迎むかえた。そこで女房にょうぼうは夫おっとのもらう扶持米ふちまいで暮くらしを立たててゆこうとする善意ぜんいはあるが、ゆたかな家いえにかわいがられて育そだった癖くせがあるので、夫おっとが満足まんぞくするほど手元てもとを引ひき締しめて暮くらしてゆくことができない。ややもすれば月末げつまつになって勘定かんじょうが足たりなくなる。すると女房にょうぼうが内証ないしょうで里さとから金かねを持もって来きて帳尻ちょうじりを合あわせる。それは夫おっとが借財しゃくざいというものを毛虫けむしのようにきらうからである。そういう事ことは所詮しょせん夫おっとに知しれずにはいない。庄兵衛しょうべえは五ご節句せっくだと言いっては、里方さとかたから物ものをもらい、子供こどもの753しちごさんの祝いわいだと言いっては、里方さとかたから子供こどもに衣類いるいをもらうのでさえ、心苦こころぐるしく思おもっているのだから、暮くらしの穴あなをうめてもらったのに気きがついては、いい顔かおはしない。格別かくべつ平和へいわを破やぶるような事ことのない羽田はねだの家いえに、おりおり波風なみかぜの起おこるのは、これが原因げんいんである。

庄兵衛しょうべえは今いま喜助きすけの話はなしを聞きいて、喜助きすけの身みの上うえをわが身みの上うえに引ひき比くらべてみた。喜助きすけは仕事しごとをして給料きゅうりょうを取とっても、右みぎから左ひだりへ人手ひとでに渡わたしてなくしてしまうと言いった。いかにも哀あわれな、気きの毒どくな境界きょうがいである。しかし一転いってんしてわが身みの上かみを顧かえりみれば、彼かれと我われとの間あいだに、はたしてどれほどの差さがあるか。自分じぶんも上かみからもらう扶持米ふちまいを、右みぎから左ひだりへ人手ひとでに渡わたして暮くらしているに過すぎぬではないか。彼かれと我われとの相違そういは、いわば十露盤そろばんの桁けたが違ちがっているだけで、喜助きすけのありがたがる200にひゃく文もんに相当そうとうする貯蓄ちょちくだに、こっちはないのである。

さて桁けたを違ちがえて考かんがえてみれば、鳥目ちょうもく200にひゃく文もんをでも、喜助きすけがそれを貯蓄ちょちくと見みて喜よろこんでいるのに無理むりはない。その心持こころもちはこっちから察さっしてやることができる。しかしいかに桁けたを違ちがえて考かんがえてみても、不思議ふしぎなのは喜助きすけの欲よくのないこと、足たることを知しっていることである。

喜助きすけは世間せけんで仕事しごとを見みつけるのに苦くるしんだ。それを見みつけさえすれば、骨ほねを惜おしまずに働はたらいて、ようよう口くちを糊のりすることのできるだけで満足まんぞくした。そこで牢ろうに入はいってからは、今いままで得えがたかった食しょくが、ほとんど天てんから授さずけられるように、働はたらかずに得えられるのに驚おどろいて、生うまれてから知しらぬ満足まんぞくを覚おぼえたのである。

庄兵衛しょうべえはいかに桁けたを違ちがえて考かんがえてみても、ここに彼かれと我われとの間あいだに、大おおいなる懸隔けんかくのあることを知しった。自分じぶんの扶持米ふちまいで立たててゆく暮くらしは、おりおり足たらぬことがあるにしても、たいてい出納すいとうが合あっている。手ていっぱいの生活せいかつである。しかるにそこに満足まんぞくを覚おぼえたことはほとんどない。常つねは幸さいわいとも不幸ふこうとも感かんぜずに過すごしている。しかし心こころの奥おくには、こうして暮くらしていて、ふいとお役やくが御免ごめんになったらどうしよう、大病たいびょうにでもなったらどうしようという疑懼ぎくが潜ひそんでいて、おりおり妻つまが里方さとかたから金かねを取とり出だして来きて穴あなうめをしたことなどがわかると、この疑懼ぎくが意識いしきの閾しきいの上うえに頭あたまをもたげて来くるのである。

いったいこの懸隔けんかくはどうして生しょうじて来くるだろう。ただ上うわべだけを見みて、それは喜助きすけには身みに係累けいるいがないのに、こっちにはあるからだと言いってしまえばそれまでである。しかしそれはうそである。よしや自分じぶんが一人ひとり者ものであったとしても、どうも喜助きすけのような心持こころもちにはなられそうにない。この根底こんていはもっと深ふかいところにあるようだと、庄兵衛しょうべえは思おもった。

庄兵衛しょうべえはただ漠然ばくぜんと、人ひとの一生いっしょうというような事ことを思おもってみた。人ひとは身みに病やまいがあると、この病やまいがなかったらと思おもう。その日ひその日ひの食しょくがないと、食くってゆかれたらと思おもう。一いちの時ときに備そなえるたくわえがないと、少すこしでもたくわえがあったらと思おもう。たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多おおかったらと思おもう。かくのごとくに先さきから先さきへと考かんがえてみれば、人ひとはどこまで行いって踏ふみ止とどまることができるものやらわからない。それを今いま目めの前まえで踏ふみ止とどまって見みせてくれるのがこの喜助きすけだと、庄兵衛しょうべえは気きがついた。

庄兵衛しょうべえは今いまさらのように驚異きょういの目めをみはって喜助きすけを見みた。この時とき庄兵衛しょうべえは空そらを仰あおいでいる喜助きすけの頭あたまから毫光ごうこうがさすように思おもった。

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庄兵衛しょうべえは喜助きすけの顔かおをまもりつつまた、「喜助きすけさん」と呼よびかけた。今度こんどは「さん」と言いったが、これは充分じゅうぶんの意識いしきをもって称呼しょうこを改あらためたわけではない。その声こえがわが口くちから出でてわが耳みみに入いるや否いなや、庄兵衛しょうべえはこの称呼しょうこの不ふ穏当おんとうなのに気きがついたが、今いまさらすでに出でたことばを取とり返かえすこともできなかった。

「はい」と答こたえた喜助きすけも、「さん」と呼よばれたのを不審ふしんに思おもうらしく、おそるおそる庄兵衛しょうべえの気色けしきをうかがった。

庄兵衛しょうべえは少すこし間まの悪わるいのをこらえて言いった。「いろいろの事ことを聞きくようだが、お前まえが今度こんど島しまへやられるのは、人ひとをあやめたからだという事ことだ。おれについでにそのわけを話はなして聞きくせてくれぬか。」

喜助きすけはひどく恐おそれ入いった様子ようすで、「かしこまりました」と言いって、小声こごえで話はなし出だした。「どうも飛とんだ心得こころえ違ちがいで、恐おそろしい事ことをいたしまして、なんとも申もうし上あげようがございませぬ。あとで思おもってみますと、どうしてあんな事ことができたかと、自分じぶんながら不思議ふしぎでなりませぬ。全まったく夢中むちゅうでいたしましたのでございます。わたくしは小ちいさい時ときに二親ふたおやが時疫じえきでなくなりまして、弟おとうとと二人ふたりあとに残のこりました。初はじめはちょうど軒下のきしたに生うまれた犬いぬの子こにふびんを掛かけるように町内ちょうないの人ひとたちがお恵めぐみくださいますので、近所きんじょじゅうの走はしり使づかいなどをいたして、飢うえ凍こごえもせずに、育そだちました。次第しだいに大おおきくなりまして職しょくを捜さがしますにも、なるたけ二人ふたりが離はなれないようにいたして、いっしょにいて、助たすけ合あって働はたらきました。去年きょねんの秋あきの事ことでございます。わたくしは弟おとうとといっしょに、西陣にしじんの織おり場ばにはいりまして、空引そらびきということをいたすことになりました。そのうち弟おとうとが病気びょうきで働はたらけなくなったのでございます。そのころわたくしどもは北山きたやまの掘立小屋ほったてごや同様どうようの所ところに寝起ねおきをいたして、紙屋かみや川がわの橋はしを渡わたって織おり場ばへ通とおっておりましたが、わたくしが暮くれてから、食たべ物ものなどを買かって帰かえると、弟おとうとは待まち受うけていて、わたくしを一人ひとりでかせがせてはすまないすまないと申もうしておりました。ある日ひいつものように何なに心こころなく帰かえって見みますと、弟おとうとはふとんの上うえに突つっ伏ぷしていまして、周囲まわりは血ちだらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、手てに持もっていた竹たけの皮包かわづつみや何なにかを、そこへおっぽり出だして、そばへ行いって『どうしたどうした』と申もうしました。すると弟おとうとはまっ青さおな顔かおの、両方りょうほうの頬ほおからあごへかけて血ちに染そまったのをあげて、わたくしを見みましたが、物ものを言いうことができませぬ。息いきをいたすたびに、傷口きずぐちでひゅうひゅうという音おとがいたすだけでございます。わたくしにはどうも様子ようすがわかりませんので、『どうしたのだい、血ちを吐はいたのかい』と言いって、そばへ寄よろうといたすと、弟おとうとは右みぎの手てを床とこに突ついて、少すこしからだを起おこしました。左ひだりの手てはしっかりあごの下したの所ところを押おさえていますが、その指ゆびの間あいだから黒血くろちの固かたまりがはみ出だしています。弟おとうとは目めでわたくしのそばへ寄よるのを留とめるようにして口くちをききました。ようよう物ものが言いえるようになったのでございます。『すまない。どうぞ堪忍かんにんしてくれ。どうせなおりそうにもない病気びょうきだから、早はやく死しんで少すこしでも兄あにきにらくがさせたいと思おもったのだ。笛ふえを切きったら、すぐ死しねるだろうと思おもったが息いきがそこから漏もれるだけで死しねない。深ふかく深ふかくと思おもって、力ちからいっぱい押おし込こむと、横よこへすべってしまった。刃ははこぼれはしなかったようだ。これをうまく抜ぬいてくれたらおれは死しねるだろうと思おもっている。物ものを言いうのがせつなくっていけない。どうぞ手てを借かして抜ぬいてくれ』と言いうのでございます。弟おとうとが左ひだりの手てをゆるめるとそこからまた息いきが漏もります。わたくしはなんと言いおうにも、声こえが出でませんので、黙だまって弟おとうとの喉のどの傷きずをのぞいて見みますと、なんでも右みぎの手てに剃刀かみそりを持もって、横よこに笛ふえを切きったが、それでは死しに切きれなかったので、そのまま剃刀かみそりを、えぐるように深ふかく突つっ込こんだものと見みえます。柄えがやっと二に寸すんばかり傷口きずぐちから出でています。わたくしはそれだけの事ことを見みて、どうしようという思案しあんもつかずに、弟おとうとの顔かおを見みました。弟おとうとはじっとわたくしを見詰みつめています。わたくしはやっとの事ことで、『待まっていてくれ、お医者いしゃを呼よんで来くるから』と申もうしました。弟おとうとは恨うらめしそうな目めつきをいたしましたが、また左ひだりの手てで喉のどをしっかり押おさえて、『医者いしゃがなんになる、あゝ苦くるしい、早はやく抜ぬいてくれ、頼たのむ』と言いうのでございます。わたくしは途方とほうに暮くれたような心持こころもちになって、ただ弟おとうとの顔かおばかり見みております。こんな時ときは、不思議ふしぎなもので、目めが物ものを言いいます。弟おとうとの目めは『早はやくしろ、早はやくしろ』と言いって、さも恨うらめしそうにわたくしを見みています。わたくしの頭あたまの中なかでは、なんだかこう車くるまの輪わのような物ものがぐるぐる回まわっているようでございましたが、弟おとうとの目めは恐おそろしい催促さいそくをやめません。それにその目めの恨うらめしそうなのがだんだん険けわしくなって来きて、とうとう敵かたきの顔かおをでもにらむような、憎々にくにくしい目めになってしまいます。それを見みていて、わたくしはとうとう、これは弟おとうとの言いったとおりにしてやらなくてはならないと思おもいました。わたくしは『しかたがない、抜ぬいてやるぞ』と申もうしました。すると弟おとうとの目めの色いろがからりと変かわって、晴はれやかに、さもうれしそうになりました。わたくしはなんでもひと思おもいにしなくてはと思おもってひざを撞つくようにしてからだを前まえへ乗のり出だしました。弟おとうとは突ついていた右みぎの手てを放はなして、今いままで喉のどを押おさえていた手てのひじを床とこに突ついて、横よこになりました。わたくしは剃刀かみそりの柄えをしっかり握にぎって、ずっと引ひきました。この時ときわたくしの内うちから締しめておいた表口おもてぐちの戸とをあけて、近所きんじょのばあさんがはいって来きました。留守るすの間あいだ、弟おとうとに薬くすりを飲のませたり何なにかしてくれるように、わたくしの頼たのんでおいたばあさんなのでございます。もうだいぶ内ないのなかが暗くらくなっていましたから、わたくしにはばあさんがどれだけの事ことを見みたのだかわかりませんでしたが、ばあさんはあっと言いったきり、表口おもてぐちをあけ放はなしにしておいて駆かけ出だしてしまいました。わたくしは剃刀かみそりを抜ぬく時とき、手早てばやく抜ぬこう、まっすぐに抜ぬこうというだけの用心ようじんはいたしましたが、どうも抜ぬいた時ときの手てごたえは、今いままで切きれていなかった所ところを切きったように思おもわれました。刃はが外そとのほうへ向むいていましたから、外そとのほうが切きれたのでございましょう。わたくしは剃刀かみそりを握にぎったまま、ばあさんのはいって来きてまた駆かけ出だして行いったのを、ぼんやりして見みておりました。ばあさんが行いってしまってから、気きがついて弟おとうとを見みますと、弟おとうとはもう息いきが切きれておりました。傷口きずぐちからはたいそうな血ちが出でておりました。それから年寄としより衆しゅうがおいでになって、役場やくばへ連つれてゆかれますまで、わたくしは剃刀かみそりをそばに置おいて、目めを半分はんぶんあいたまま死しんでいる弟おとうとの顔かおを見詰みつめていたのでございます。」

少すこしうつ向むきかげんになって庄兵衛しょうべえの顔かおを下したから見上みあげて話はなしていた喜助きすけは、こう言いってしまって視線しせんをひざの上うえに落おとした。

喜助きすけの話はなしはよく条理じょうりが立たっている。ほとんど条理じょうりが立たち過すぎていると言いってもいいくらいである。これは半年はんとしほどの間あいだ、当時とうじの事ことを幾いくたびも思おもい浮うかべてみたのと、役場やくばで問とわれ、町奉行まちぶぎょう所じょで調しらべられるそのたびごとに、注意ちゅういに注意ちゅういを加くわえてさらってみさせられたのとのためである。

庄兵衛しょうべえはその場ばの様子ようすを目まのあたり見みるような思おもいをして聞きいていたが、これがはたして弟おとうと殺ごろしというものだろうか、人殺ひとごろしというものだろうかという疑うたがいが、話はなしを半分はんぶん聞きいた時ときから起おこって来きて、聞きいてしまっても、その疑うたがいを解とくことができなかった。弟おとうとは剃刀かみそりを抜ぬいてくれたら死しなれるだろうから、抜ぬいてくれと言いった。それを抜ぬいてやって死しなせたのだ、殺ころしたのだとは言いわれる。しかしそのままにしておいても、どうせ死しななくてはならぬ弟おとうとであったらしい。それが早はやく死しにたいと言いったのは、苦くるしさに耐たえなかったからである。喜助きすけはその苦くを見みているに忍しのびなかった。苦くから救すくってやろうと思おもって命いのちを絶たった。それが罪つみであろうか。殺ころしたのは罪つみに相違そういない。しかしそれが苦くから救すくうためであったと思おもうと、そこに疑うたがいが生しょうじて、どうしても解とけぬのである。

庄兵衛しょうべえの心こころの中なかには、いろいろに考かんがえてみた末すえに、自分じぶんよりも上うえのものの判断はんだんに任まかすほかないという念ねん、オオトリテエに従したがうほかないという念ねんが生しょうじた。庄兵衛しょうべえはお奉行ぶぎょう様さまの判断はんだんを、そのまま自分じぶんの判断はんだんにしようと思おもったのである。そうは思おもっても、庄兵衛しょうべえはまだどこやらにふに落おちぬものが残のこっているので、なんだかお奉行ぶぎょう様さまに聞きいてみたくてならなかった。

次第しだいにふけてゆくおぼろ夜よに、沈黙ちんもくの人ひと二人ふたりを載のせた高瀬舟たかせぶねは、黒くろい水みずの面おもてをすべって行いった。