坊っちゃん

Pitch accent notes

  • The parser sets 清 to the preferred reading きよ with drop [1]. It appears 39 times in chapter 1, making it the chapter’s strongest reading trap: a proper name here, not the Sino-Japanese 清 (しん).
  • The source text uses おやじ 17 times; the parser renders it as Heiban おやじ [0] while flagging Atamadaka [1] as a common alternative. That variation is worth noticing because the word is emotionally central to the opening chapter.
  • Family and household terms form a small accent cluster: 兄 appears 26 times as あに [1], 母 10 times as はは [1], and 清 39 times as きよ [1], while おやじ contrasts with the variable [0]/[1] pattern.
Source text: 青空文庫 Pitch accent analysis: akusento parser
Legend
Atamadaka
Heiban
Nakadaka
Odaka
Kifuku
Accent drop
Devoiced
Rules applied
* Patterns are assigned based on the lexical pitch accent.
Rendered chapter

親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供こどもの時ときから損そんばかりしている。小しょう学校がっこうに居いる時分じぶん学校がっこうの二に階かいから飛とび降おりて一週間いっしゅうかんほど腰こしを抜ぬかした事ことがある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞きく人ひとがあるかも知しれぬ。別段べつだん深ふかい理由りゆうでもない。新築しんちくの二に階かいから首くびを出だしていたら、同級どうきゅう生せいの一人ひとりが冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛とび降おりる事ことは出来できまい。弱虫よわむしやーい。と囃はやしたからである。小使こづかいに負おぶさって帰かえって来きた時とき、おやじが大おおきな眼めをして二に階かいぐらいから飛とび降おりて腰こしを抜ぬかす奴やつがあるかと云いったから、この次つぎは抜ぬかさずに飛とんで見みせますと答こたえた。

親類しんるいのものから西洋せいよう製せいのナイフを貰もらって奇麗きれいな刃はを日ひに翳かざして、友達ともだちに見みせていたら、一人ひとりが光ひかる事ことは光ひかるが切きれそうもないと云いった。切きれぬ事ことがあるか、何なんでも切きってみせると受うけ合あった。そんなら君きみの指ゆびを切きってみろと注文ちゅうもんしたから、何なんだ指ゆびぐらいこの通とおりだと右みぎの手ての親指おやゆびの甲こうをはすに切きり込こんだ。幸さいわいナイフが小ちいさいのと、親指おやゆびの骨ほねが堅かたかったので、今いまだに親指おやゆびは手てに付ついている。しかし創痕きずあとは死しぬまで消きえぬ。

庭にわを東ひがしへ20にじゅっ歩ぽに行いき尽つくすと、南みなみ上あがりにいささかばかりの菜園さいえんがあって、真中まんなかに栗くりの木きが一本いっぽん立たっている。これは命いのちより大事だいじな栗くりだ。実みの熟じゅくする時分じぶんは起おき抜ぬけに背戸せどを出でて落おちた奴やつを拾ひろってきて、学校がっこうで食くう。菜園さいえんの西側にしがわが山城やましろ屋やという質屋しちやの庭にわ続つづきで、この質屋しちやに勘太郎かんたろうという十じゅう三さん四よんの倅せがれが居いた。勘太郎かんたろうは無論むろん弱虫よわむしである。弱虫よわむしの癖くせに四よつ目垣めがきを乗のりこえて、栗くりを盗ぬすみにくる。ある日ひの夕方ゆうがた折戸おりどの蔭かげに隠かくれて、とうとう勘太郎かんたろうを捕つらまえてやった。その時とき勘太郎かんたろうは逃にげ路みちを失うしなって、一生いっしょう懸命けんめいに飛とびかかってきた。向むこうは二ふたつばかり年上としうえである。弱虫よわむしだが力ちからは強つよい。鉢はちの開ひらいた頭あたまを、こっちの胸むねへ宛あててぐいぐい押おした拍子ひょうしに、勘太郎かんたろうの頭あたまがすべって、おれの袷あわせの袖そでの中なかにはいった。邪魔じゃまになって手てが使つかえぬから、無暗むやみに手てを振ふったら、袖そでの中なかにある勘太郎かんたろうの頭あたまが、右左みぎひだりへぐらぐら靡なびいた。しまいに苦にがしがって袖そでの中なかから、おれの二にの腕うでへ食くい付ついた。痛いたかったから勘太郎かんたろうを垣根かきねへ押おしつけておいて、足搦あしがらをかけて向むこうへ倒たおしてやった。山城やましろ屋やの地面じめんは菜園さいえんより六ろく尺しゃくがた低ひくい。勘太郎かんたろうは四よつ目垣めがきを半分はんぶん崩くずして、自分じぶんの領分りょうぶんへ真逆様まっさかさまに落おちて、ぐうと云いった。勘太郎かんたろうが落おちるときに、おれの袷あわせの片袖かたそでがもげて、急きゅうに手てが自由じゆうになった。その晩ばん母ははが山城やましろ屋やに詫わびに行いったついでに袷あわせの片袖かたそでも取とり返かえして来きた。

この外そといたずらは大分だいぶやった。大工だいくの兼か公ねこうと肴屋さかなやの角かくをつれて、茂作もさくの人参にんじん畠ばたけをあらした事ことがある。人参にんじんの芽めが出揃でそろわぬ処ところへ藁わらが一面いちめんに敷しいてあったから、その上うえで三人さんにんが半日はんにち相撲すもうをとりつづけに取とったら、人参にんじんがみんな踏ふみつぶされてしまった。古川ふるかわの持もっている田圃たんぼの井戸いどを埋うめて尻しりを持もち込こまれた事こともある。太ふとい孟宗もうそうの節ふしを抜ぬいて、深ふかく埋うめた中なかから水みずが湧わき出でて、そこいらの稲いねにみずがかかる仕掛しかけであった。その時分じぶんはどんな仕掛しかけか知しらぬから、石いしや棒ぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸いどの中なかへ挿さし込こんで、水みずが出でなくなったのを見届みとどけて、うちへ帰かえって飯めしを食くっていたら、古川ふるかわが真赤まっかになって怒鳴どなり込こんで来きた。たしか罰金ばっきんを出だして済すんだようである。

おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母ははは兄あにばかり贔屓ひいきにしていた。この兄あにはやに色いろが白しろくって、芝居しばいの真似まねをして女形おんながたになるのが好すきだった。おれを見みる度たびにこいつはどうせ碌ろくなものにはならないと、おやじが云いった。乱暴らんぼうで乱暴らんぼうで行ゆく先さきが案あんじられると母ははが云いった。なるほど碌ろくなものにはならない。ご覧らんの通とおりの始末しまつである。行ゆく先さきが案あんじられたのも無理むりはない。ただ懲役ちょうえきに行いかないで生いきているばかりである。

母ははが病気びょうきで死しぬ二三にさんち日にち前まえ台所だいどころで宙返ちゅうがえりをしてへっついの角かどで肋骨あばらぼねを撲うって大おおいに痛いたかった。母ははが大層たいそう怒おこって、お前まえのようなものの顔かおは見みたくないと云いうから、親類しんるいへ泊とまりに行いっていた。するととうとう死しんだと云いう報知しらせが来きた。そう早はやく死しぬとは思おもわなかった。そんな大病たいびょうなら、もう少すこし大人おとなしくすればよかったと思おもって帰かえって来きた。そうしたら例れいの兄あにがおれを親おや不孝ふこうだ、おれのために、おっかさんが早はやく死しんだんだと云いった。口惜くやしかったから、兄あにの横よこっ面つらを張はって大変たいへん叱しかられた。

母ははが死しんでからは、おやじと兄あにと三人さんにんで暮くらしていた。おやじは何なんにもせぬ男おとこで、人ひとの顔かおさえ見みれば貴様きさまは駄目だめだ駄目だめだと口癖くちぐせのように云いっていた。何なにが駄目だめなんだか今いまに分わからない。妙みょうなおやじがあったもんだ。兄あには実業家じつぎょうかになるとか云いってしきりに英語えいごを勉強べんきょうしていた。元来がんらい女おんなのような性分しょうぶんで、ずるいから、仲なかがよくなかった。十日とおかに一遍いっぺんぐらいの割わりで喧嘩けんかをしていた。ある時とき将棋しょうぎをさしたら卑怯ひきょうな待駒まちごまをして、人ひとが困こまると嬉うれしそうに冷ひやかした。あんまり腹はらが立たったから、手てに在あった飛車ひしゃを眉間みけんへ擲たたきつけてやった。眉間みけんが割われて少々しょうしょう血ちが出でた。兄あにがおやじに言付いつけた。おやじがおれを勘当かんどうすると言いい出だした。

その時ときはもう仕方しかたがないと観念かんねんして先方せんぽうの云いう通とおり勘当かんどうされるつもりでいたら、十じゅう年来ねんらい召めし使つかっている清きよという下女げじょが、泣なきながらおやじに詫あやまって、ようやくおやじの怒いかりが解とけた。それにもかかわらずあまりおやじを怖こわいとは思おもわなかった。かえってこの清きよと云いう下女げじょに気きの毒どくであった。この下女げじょはもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞きいている。だから婆ばあさんである。この婆ばあさんがどういう因縁いんえんか、おれを非常ひじょうに可愛かわいがってくれた。不思議ふしぎなものである。母ははも死しぬ三日みっか前まえに愛想あいそをつかした――おやじも年中ねんじゅう持もて余あましている――町内ちょうないでは乱暴者らんぼうものの悪太郎あくたろうと爪弾つまはじきをする――このおれを無暗むやみに珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人ひとに好すかれる性たちでないとあきらめていたから、他人たにんから木きの端はしのように取とり扱あつかわれるのは何なんとも思おもわない、かえってこの清きよのようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考かんがえた。清きよは時々ときどき台所だいどころで人ひとの居いない時ときに「あなたは真まっ直すぐでよいご気性きしょうだ」と賞ほめる事ことが時々ときどきあった。しかしおれには清きよの云いう意味いみが分わからなかった。好いい気性きしょうなら清きよ以外いがいのものも、もう少すこし善よくしてくれるだろうと思おもった。清きよがこんな事ことを云いう度たびにおれはお世辞せじは嫌きらいだと答こたえるのが常つねであった。すると婆ばあさんはそれだから好よいご気性きしょうですと云いっては、嬉うれしそうにおれの顔かおを眺ながめている。自分じぶんの力ちからでおれを製造せいぞうして誇ほこってるように見みえる。少々しょうしょう気味きみがわるかった。

母ははが死しんでから清きよはいよいよおれを可愛かわいがった。時々ときどきは小供こども心ごころになぜあんなに可愛かわいがるのかと不審ふしんに思おもった。つまらない、廃よせばいいのにと思おもった。気きの毒どくだと思おもった。それでも清きよは可愛かわいがる。折々おりおりは自分じぶんの小遣こづかいで金鍔きんつばや紅梅こうばい焼やきを買かってくれる。寒さむい夜よるなどはひそかに蕎麦粉そばこを仕入しいれておいて、いつの間まにか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯そばゆを持もって来きてくれる。時ときには鍋焼なべやき饂飩うどんさえ買かってくれた。ただ食くい物ものばかりではない。靴足袋くつたびももらった。鉛筆えんぴつも貰もらった、帳面ちょうめんも貰もらった。これはずっと後あとの事ことであるが金かねを三さん円えんばかり貸かしてくれた事ことさえある。何なにも貸かせと云いった訳わけではない。向むこうで部屋へやへ持もって来きてお小遣こづかいがなくてお困こまりでしょう、お使つかいなさいと云いってくれたんだ。おれは無論むろん入はいらないと云いったが、是非ぜひ使つかえと云いうから、借かりておいた。実じつは大変たいへん嬉うれしかった。その三さん円えんを蝦蟇口がまぐちへ入いれて、懐ふところへ入いれたなり便所べんじょへ行いったら、すぽりと後架こうかの中なかへ落おとしてしまった。仕方しかたがないから、のそのそ出でてきて実じつはこれこれだと清きよに話はなしたところが、清きよは早速さっそく竹たけの棒ぼうを捜さがして来きて、取とって上あげますと云いった。しばらくすると井戸端いどばたでざあざあ音おとがするから、出でてみたら竹たけの先さきへ蝦蟇口がまぐちの紐ひもを引ひき懸かけたのを水みずで洗あらっていた。それから口くちをあけて壱いち円えん札さつを改あらためたら茶色ちゃいろになって模様もようが消きえかかっていた。清きよは火鉢ひばちで乾かわかして、これでいいでしょうと出だした。ちょっとかいでみて臭くさいやと云いったら、それじゃお出だしなさい、取とり換かえて来きて上あげますからと、どこでどう胡魔化ごまかしたか札ふだの代かわりに銀貨ぎんかを三さん円えん持もって来きた。この三さん円えんは何なにに使つかったか忘わすれてしまった。今いまに返かえすよと云いったぎり、返かえさない。今いまとなっては十じゅう倍ばいにして返かえしてやりたくても返かえせない。

清きよが物ものをくれる時ときには必かならずおやじも兄あにも居いない時ときに限かぎる。おれは何なにが嫌きらいだと云いって人ひとに隠かくれて自分じぶんだけ得とくをするほど嫌きらいな事ことはない。兄あにとは無論むろん仲なかがよくないけれども、兄あにに隠かくして清きよから菓子かしや色いろ鉛筆えんぴつを貰もらいたくはない。なぜ、おれ一人ひとりにくれて、兄にいさんには遣やらないのかと清きよに聞きく事ことがある。すると清きよは澄すましたものでお兄様にいさまはお父様とうさまが買かってお上あげなさるから構かまいませんと云いう。これは不ふ公平こうへいである。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙えこ贔負ひいきはせぬ男おとこだ。しかし清きよの眼めから見みるとそう見みえるのだろう。全まったく愛あいに溺おぼれていたに違ちがいない。元もとは身分みぶんのあるものでも教育きょういくのない婆ばあさんだから仕方しかたがない。単たんにこればかりではない。贔負ひいき目めは恐おそろしいものだ。清きよはおれをもって将来しょうらい立身りっしん出世しゅっせして立派りっぱなものになると思おもい込こんでいた。その癖くせ勉強べんきょうをする兄あには色いろばかり白しろくって、とても役やくには立たたないと一人ひとりできめてしまった。こんな婆ばあさんに逢あっては叶かなわない。自分じぶんの好すきなものは必かならずえらい人物じんぶつになって、嫌きらいなひとはきっと落おち振ぶれるものと信しんじている。おれはその時ときから別段べつだん何なにになると云いう了見りょうけんもなかった。しかし清きよがなるなると云いうものだから、やっぱり何なにかに成なれるんだろうと思おもっていた。今いまから考かんがえると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時ときなどは清きよにどんなものになるだろうと聞きいてみた事ことがある。ところが清きよにも別段べつだんの考かんがえもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗のって、立派りっぱな玄関げんかんのある家いえをこしらえるに相違そういないと云いった。

それから清きよはおれがうちでも持もって独立どくりつしたら、一所いっしょになる気きでいた。どうか置おいて下くださいと何遍なんべんも繰くり返かえして頼たのんだ。おれも何なんだかうちが持もてるような気きがして、うん置おいてやると返事へんじだけはしておいた。ところがこの女おんなはなかなか想像そうぞうの強つよい女おんなで、あなたはどこがお好すき、麹町こうじまちですか麻布あざぶですか、お庭にわへぶらんこをおこしらえ遊あそばせ、西洋間せいようまは一ひとつでたくさんですなどと勝手かってな計画けいかくを独ひとりで並ならべていた。その時ときは家いえなんか欲ほしくも何なんともなかった。西洋せいよう館かんも日本にほん建だても全まったく不用ふようであったから、そんなものは欲ほしくないと、いつでも清きよに答こたえた。すると、あなたは欲よくがすくなくって、心こころが奇麗きれいだと云いってまた賞ほめた。清きよは何なんと云いっても賞ほめてくれる。

母ははが死しんでから5ごじゅう6ろく年ねんの間あいだはこの状態じょうたいで暮くらしていた。おやじには叱しかられる。兄あにとは喧嘩けんかをする。清きよには菓子かしを貰もらう、時々ときどき賞ほめられる。別べつに望のぞみもない。これでたくさんだと思おもっていた。ほかの小供こどもも一概いちがいにこんなものだろうと思おもっていた。ただ清きよが何なにかにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不ふ仕合しあわせだと無暗むやみに云いうものだから、それじゃ可哀想かわいそうで不仕合ふしあわせせなんだろうと思おもった。その外ほかに苦くになる事ことは少すこしもなかった。ただおやじが小遣こづかいをくれないには閉口へいこうした。

母ははが死しんでから六ろく年ねん目めの正月しょうがつにおやじも卒中そっちゅうで亡なくなった。その年としの四月しがつにおれはある私立しりつの中学校ちゅうがっこうを卒業そつぎょうする。六ろく月がつに兄あには商業しょうぎょう学校がっこうを卒業そつぎょうした。兄あには何なんとか会社かいしゃの九州きゅうしゅうの支店してんに口くちがあって行ゆかなければならん。おれは東京とうきょうでまだ学問がくもんをしなければならない。兄あには家いえを売うって財産ざいさんを片付かたづけて任地にんちへ出立しゅったつすると云いい出だした。おれはどうでもするがよかろうと返事へんじをした。どうせ兄あにの厄介やっかいになる気きはない。世話せわをしてくれるにしたところで、喧嘩けんかをするから、向むこうでも何なんとか云いい出だすに極きまっている。なまじい保護ほごを受うければこそ、こんな兄あにに頭あたまを下さげなければならない。牛乳ぎゅうにゅう配達はいたつをしても食くってられると覚悟かくごをした。兄あにはそれから道具どうぐ屋やを呼よんで来きて、先祖せんぞ代々だいだいの瓦落多がらくたを二束三文にそくさんもんに売うった。家屋敷いえやしきはある人ひとの周旋しゅうせんである金満家きんまんかに譲ゆずった。この方かたは大分だいぶ金かねになったようだが、詳くわしい事ことは一向いっこう知しらぬ。おれは一いっヶか月げつ以前いぜんから、しばらく前途ぜんとの方向ほうこうのつくまで神田かんだの小川町おがわまちへ下宿げしゅくしていた。清きよは十じゅう何年なんねん居いたうちが人手ひとでに渡わたるのを大おおいに残念ざんねんがったが、自分じぶんのものでないから、仕様しようがなかった。あなたがもう少すこし年としをとっていらっしゃれば、ここがご相続そうぞくが出来できますものをとしきりに口説くどいていた。もう少すこし年としをとって相続そうぞくが出来できるものなら、今いまでも相続そうぞくが出来できるはずだ。婆ばあさんは何なにも知しらないから年としさえ取とれば兄あにの家いえがもらえると信しんじている。

兄あにとおれはかように分わかれたが、困こまったのは清きよの行ゆく先さきである。兄あには無論むろん連つれて行いける身分みぶんでなし、清きよも兄あにの尻しりにくっ付ついて九州きゅうしゅう下くんだりまで出掛でかける気きは毛頭もうとうなし、と云いってこの時ときのおれは四畳半よじょうはんの安やす下宿げしゅくに籠こもって、それすらもいざとなれば直ただちに引ひき払はらわねばならぬ始末しまつだ。どうする事ことも出来できん。清きよに聞きいてみた。どこかへ奉公ほうこうでもする気きかねと云いったらあなたがおうちを持もって、奥おくさまをお貰もらいになるまでは、仕方しかたがないから、甥おいの厄介やっかいになりましょうとようやく決心けっしんした返事へんじをした。この甥おいは裁判さいばん所しょの書記しょきでまず今日きょうには差支さしつかえなく暮くらしていたから、今いままでも清きよに来くるなら来こいと23度にさんど勧すすめたのだが、清きよはたとい下女くんだ奉公ほうこうはしても年来ねんらい住すみ馴なれた家うちの方ほうがいいと云いって応おうじなかった。しかし今いまの場合ばあい知しらぬ屋敷やしきへ奉公易ほうこうがえをして入はいらぬ気兼きがねを仕し直なおすより、甥おいの厄介やっかいになる方ほうがましだと思おもったのだろう。それにしても早はやくうちを持もての、妻さいを貰もらえの、来きて世話せわをするのと云いう。親身しんみの甥おいよりも他人たにんのおれの方ほうが好すきなのだろう。

九州きゅうしゅうへ立たつ二日ふつか前まえ兄あにが下宿げしゅくへ来きて金かねを600ろっぴゃく円えん出だしてこれを資本しほんにして商買しょうばいをするなり、学資がくしにして勉強べんきょうをするなり、どうでも随意ずいいに使つかうがいい、その代かわりあとは構かまわないと云いった。兄あににしては感心かんしんなやり方かただ、何なんの600ろっぴゃく円えんぐらい貰もらわんでも困こまりはせんと思おもったが、例れいに似にぬ淡泊たんばくな処置しょちが気きに入いったから、礼れいを云いって貰もらっておいた。兄あにはそれから50ごじゅう円えん出だしてこれをついでに清きよに渡わたしてくれと云いったから、異議いぎなく引ひき受うけた。二日ふつか立たって新橋しんばしの停車ていしゃ場ばで分わかれたぎり兄あににはその後ご一遍いっぺんも逢あわない。

おれは600ろっぴゃく円えんの使用しよう法ほうについて寝ねながら考かんがえた。商買しょうばいをしたって面倒くさくって旨うまく出来できるものじゃなし、ことに600ろっぴゃく円えんの金かねで商買しょうばいらしい商買しょうばいがやれる訳わけでもなかろう。よしやれるとしても、今いまのようじゃ人ひとの前まえへ出でて教育きょういくを受うけたと威張いばれないからつまり損そんになるばかりだ。資本しほんなどはどうでもいいから、これを学資がくしにして勉強べんきょうしてやろう。600ろっぴゃく円えんを三さんに割わって一年いちねんに200にひゃく円えんずつ使つかえば三さん年間ねんかんは勉強べんきょうが出来できる。三さん年間ねんかん一生いっしょう懸命けんめいにやれば何なにか出来できる。それからどこの学校がっこうへはいろうと考かんがえたが、学問がくもんは生来しょうらいどれもこれも好すきでない。ことに語学ごがくとか文学ぶんがくとか云いうものは真平まっぴらご免めんだ。新体しんたい詩しなどと来きては20にじゅう行ぎょうあるうちで一行いっこうも分わからない。どうせ嫌きらいなものなら何なにをやっても同おなじ事ことだと思おもったが、幸さいわい物理ぶつり学校がっこうの前まえを通とおり掛かかったら生徒せいと募集ぼしゅうの広告こうこくが出でていたから、何なにも縁えんだと思おもって規則きそく書しょをもらってすぐ入学にゅうがくの手続てつづきをしてしまった。今いま考かんがえるとこれも親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうから起おこった失策しっさくだ。

三さん年間ねんかんまあ人ひと並なみに勉強べんきょうはしたが別段べつだんたちのいい方ほうでもないから、席順せきじゅんはいつでも下したから勘定かんじょうする方ほうが便利べんりであった。しかし不思議ふしぎなもので、三年さんねん立たったらとうとう卒業そつぎょうしてしまった。自分じぶんでも可笑おかしいと思おもったが苦情くじょうを云いう訳わけもないから大人おとなしく卒業そつぎょうしておいた。

卒業そつぎょうしてから八日ようか目めに校長こうちょうが呼よびに来きたから、何なにか用ようだろうと思おもって、出掛でかけて行いったら、四国しこく辺へんのある中学校ちゅうがっこうで数学すうがくの教師きょうしが入はいる。月給げっきゅうは40よんじゅう円えんだが、行いってはどうだという相談そうだんである。おれは三さん年間ねんかん学問がくもんはしたが実じつを云いうと教師きょうしになる気きも、田舎いなかへ行いく考かんがえも何なにもなかった。もっとも教師きょうし以外いがいに何なにをしようと云いうあてもなかったから、この相談そうだんを受うけた時とき、行いきましょうと即席そくせきに返事へんじをした。これも親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうが祟たたったのである。

引ひき受うけた以上いじょうは赴任ふにんせねばならぬ。この三さん年間ねんかんは四畳半よじょうはんに蟄居ちっきょして小言こごとはただの一いち度ども聞きいた事ことがない。喧嘩けんかもせずに済すんだ。おれの生涯しょうがいのうちでは比較ひかく的てき呑気のんきな時節じせつであった。しかしこうなると四畳半よじょうはんも引ひき払はらわなければならん。生うまれてから東京とうきょう以外いがいに踏ふみ出だしたのは、同級どうきゅう生せいと一所いっしょに鎌倉かまくらへ遠足えんそくした時ときばかりである。今度こんどは鎌倉かまくらどころではない。大変たいへんな遠とおくへ行いかねばならぬ。地図ちずで見みると海浜かいひんで針はりの先さきほど小ちいさく見みえる。どうせ碌ろくな所ところではあるまい。どんな町まちで、どんな人ひとが住すんでるか分わからん。分わからんでも困こまらない。心配しんぱいにはならぬ。ただ行いくばかりである。もっとも少々しょうしょう面倒めんどう臭くさい。

家いえを畳たたんでからも清きよの所ところへは折々おりおり行ゆった。清きよの甥おいというのは存外ぞんがい結構けっこうな人ひとである。おれが行いくたびに、居おりさえすれば、何なにくれと款待もてなしてくれた。清きよはおれを前まえへ置おいて、いろいろおれの自慢じまんを甥おいに聞きかせた。今いまに学校がっこうを卒業そつぎょうすると麹町こうじまち辺あたりへ屋敷やしきを買かって役所やくしょへ通かようのだなどと吹聴ふいちょうした事こともある。独ひとりで極きわめて一人ひとりで喋舌しゃべるから、こっちは困こまって顔かおを赤あかくした。それも一いち度どや二に度どではない。折々おりおりおれが小ちいさい時とき寝ね小便しょうべんをした事ことまで持もち出だすには閉口へいこうした。甥おいは何なんと思おもって清きよの自慢じまんを聞きいていたか分わからぬ。ただ清きよは昔むかし風ふうの女おんなだから、自分じぶんとおれの関係かんけいを封建ほうけん時代じだいの主従しゅじゅうのように考かんがえていた。自分じぶんの主人しゅじんなら甥おいのためにも主人しゅじんに相違そういないと合点がてんしたものらしい。甥おいこそいい面つらの皮かわだ。

いよいよ約束やくそくが極きまって、もう立たつと云いう三日みっか前まえに清きよを尋たずねたら、北向きたむきの三さん畳じょうに風邪かぜを引ひいて寝ねていた。おれの来きたのを見みて起おき直なおるが早はやいか、坊ぼっちゃんいつ家うちをお持もちなさいますと聞きいた。卒業そつぎょうさえすれば金かねが自然しぜんとポッケットの中なかに湧わいて来くると思おもっている。そんなにえらい人ひとをつらまえて、まだ坊ぼっちゃんと呼よぶのはいよいよ馬鹿気ばかげている。おれは単簡たんかんに当分とうぶんうちは持もたない。田舎いなかへ行いくんだと云いったら、非常ひじょうに失望しつぼうした容子ようすで、胡麻ごま塩しおの鬢びんの乱みだれをしきりに撫なでた。あまり気きの毒どくだから「行ゆく事ことは行いくがじき帰かえる。来年らいねんの夏休なつやすみにはきっと帰かえる」と慰なぐさめてやった。それでも妙みょうな顔かおをしているから「何なにを見みやげに買かって来きてやろう、何なにが欲ほしい」と聞きいてみたら「越後えちごの笹飴ささあめが食たべたい」と云いった。越後えちごの笹飴ささあめなんて聞きいた事こともない。第だい一いち方角ほうがくが違ちがう。「おれの行いく田舎いなかには笹飴ささあめはなさそうだ」と云いって聞きかしたら「そんなら、どっちの見当けんとうです」と聞きき返かえした。「西にしの方ほうだよ」と云いうと「箱根はこねのさきですか手前てまえですか」と問とう。随分ずいぶん持もてあました。

出立しゅったつの日ひには朝あさから来きて、いろいろ世話せわをやいた。来くる途中とちゅう小間物こまもの屋やで買かって来きた歯磨はみがきと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入いれてくれた。そんな物ものは入はいらないと云いってもなかなか承知しょうちしない。車くるまを並ならべて停車ていしゃ場ばへ着ついて、プラットフォームの上うえへ出でた時とき、車くるまへ乗のり込こんだおれの顔かおをじっと見みて「もうお別わかれになるかも知しれません。随分ずいぶんご機嫌きげんよう」と小ちいさな声こえで云いった。目めに涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣なかなかった。しかしもう少すこしで泣なくところであった。汽車きしゃがよっぽど動うごき出だしてから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思おもって、窓まどから首くびを出だして、振ふり向むいたら、やっぱり立たっていた。何なんだか大変たいへん小ちいさく見みえた。