人間失格

Source text: 青空文庫 Pitch accent analysis: akusento parser
Legend
Atamadaka
Heiban
Nakadaka
Odaka
Kifuku
Accent drop
Devoiced
Rules applied
* Patterns are assigned based on the lexical pitch accent.
Rendered chapter

恥はじの多おおい生涯しょうがいを送おくって来きました。

自分じぶんには、人間にんげんの生活せいかつというものが、見当けんとうつかないのです。自分じぶんは東北とうほくの田舎いなかに生うまれましたので、汽車きしゃをはじめて見みたのは、よほど大おおきくなってからでした。自分じぶんは停車ていしゃ場ばのブリッジを、上のぼって、降おりて、そうしてそれが線路せんろをまたぎ越こえるために造つくられたものだという事ことには全然ぜんぜん気きづかず、ただそれは停車ていしゃ場ばの構内こうないを外国がいこくの遊戯場ゆうぎじょうみたいに、複雑ふくざつに楽たのしく、ハイカラにするためにのみ、設備せつびせられてあるものだとばかり思おもっていました。しかも、かなり永ながい間あいだそう思おもっていたのです。ブリッジの上のぼったり降おりたりは、自分じぶんにはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯ゆうぎで、それは鉄道てつどうのサーヴィスの中なかでも、最もっとも気きのきいたサーヴィスの一ひとつだと思おもっていたのですが、のちにそれはただ旅客りょかくが線路せんろをまたぎ越こえるための頗すこぶる実利じつり的てきな階段かいだんに過すぎないのを発見はっけんして、にわかに興きょうが覚さめました。

また、自分じぶんは子供こどもの頃ころ、絵本えほんで地下ちか鉄道てつどうというものを見みて、これもやはり、実利じつり的てきな必要ひつようから案出あんしゅつせられたものではなく、地上ちじょうの車くるまに乗のるよりは、地下ちかの車くるまに乗のったほうが風ふうがわりで面白おもしろい遊あそびだから、とばかり思おもっていました。

自分じぶんは子供こどもの頃ころから病弱びょうじゃくで、よく寝込ねこみましたが、寝ねながら、敷布しきふ、枕まくらのカヴァ、掛蒲団かけぶとんのカヴァを、つくづく、つまらない装飾そうしょくだと思おもい、それが案外あんがいに実用じつよう品ひんだった事ことを、20歳はたちちかくになってわかって、人間にんげんのつましさに暗然あんぜんとし、悲かなしい思おもいをしました。

また、自分じぶんは、空腹くうふくという事ことを知しりませんでした。いや、それは、自分じぶんが衣い食しょく住じゅうに困こまらない家いえに育そだったという意味いみではなく、そんな馬鹿ばかな意味いみではなく、自分じぶんには「空腹くうふく」という感覚かんかくはどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いいかたですが、おなかが空すいていても、自分じぶんでそれに気きがつかないのです。小しょう学校がっこう、中学校ちゅうがっこう、自分じぶんが学校がっこうから帰かえって来くると、周囲しゅういの人ひとたちが、それ、おなかが空すいたろう、自分じぶんたちにも覚おぼえがある、学校がっこうから帰かえって来きた時ときの空腹くうふくは全まったくひどいからな、甘あま納豆なっとうはどう?カステラも、パンもあるよ、などと言いって騒さわぎますので、自分じぶんは持もち前まえのおべっか精神せいしんを発揮はっきして、おなかが空すいた、と呟つぶやいて、甘あま納豆なっとうを十じゅっ粒つぶばかり口くちにほうり込こむのですが、空腹くうふく感かんとは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

自分じぶんだって、それは勿論もちろん、大おおいにものを食たべますが、しかし、空腹くうふく感かんから、ものを食たべた記憶きおくは、ほとんどありません。めずらしいと思おもわれたものを食たべます。豪華ごうかと思おもわれたものを食たべます。また、よそへ行いって出だされたものも、無理むりをしてまで、たいてい食たべます。そうして、子供こどもの頃ころの自分じぶんにとって、最もっとも苦痛くつうな時刻じこくは、実じつに、自分じぶんの家いえの食事しょくじの時間じかんでした。

自分じぶんの田舎いなかの家いえでは、十人じゅうにんくらいの家族かぞく全部ぜんぶ、めいめいのお膳ぜんを二に列れつに向むかい合あわせに並ならべて、末すえっ子この自分じぶんは、もちろん一いちばん下したの座ざでしたが、その食事しょくじの部屋へやは薄暗うすぐらく、昼ひるごはんの時ときなど、十じゅう幾人いくにんの家族かぞくが、ただ黙々もくもくとしてめしを食くっている有様ありさまには、自分じぶんはいつも肌寒はださむい思おもいをしました。それに田舎いなかの昔気質むかしかたぎの家いえでしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華ごうかなもの、そんなものは望のぞむべくもなかったので、いよいよ自分じぶんは食事しょくじの時刻じこくを恐怖きょうふしました。自分じぶんはその薄暗うすぐらい部屋へやの末席まっせきに、寒さむさにがたがた震ふるえる思おもいで口くちにごはんを少量しょうりょうずつ運はこび、押おし込こみ、人間にんげんは、どうして一日いちにちに三さん度ど々々ごはんを食たべるのだろう、実じつにみな厳粛げんしゅくな顔かおをして食たべている、これも一種いっしゅの儀式ぎしきのようなもので、家族かぞくが日ひに三さん度ど々々、時刻じこくをきめて薄暗うすぐらい一部屋ひとへやに集あつまり、お膳ぜんを順序じゅんじょ正ただしく並ならべ、食たべたくなくても無言むごんでごはんを噛かみながら、うつむき、家中いえじゅうにうごめいている霊れいたちに祈いのるためのものかも知しれない、とさえ考かんがえた事ことがあるくらいでした。

めしを食たべなければ死しぬ、という言葉ことばは、自分じぶんの耳みみには、ただイヤなおどかしとしか聞きこえませんでした。その迷信めいしんは、(いまでも自分じぶんには、何なんだか迷信めいしんのように思おもわれてならないのですが)しかし、いつも自分じぶんに不安ふあんと恐怖きょうふを与あたえました。人間にんげんは、めしを食たべなければ死しぬから、そのために働はたらいて、めしを食たべなければならぬ、という言葉ことばほど自分じぶんにとって難解なんかいで晦渋かいじゅうで、そうして脅迫きょうはくめいた響ひびきを感かんじさせる言葉ことばは、無なかったのです。

つまり自分じぶんには、人間にんげんの営いとなみというものが未いまだに何なにもわかっていない、という事ことになりそうです。自分じぶんの幸福こうふくの観念かんねんと、世よのすべての人ひとたちの幸福こうふくの観念かんねんとが、まるで食くいちがっているような不安ふあん、自分じぶんはその不安ふあんのために夜々よよ、転てん輾てんし、呻吟しんぎんし、発狂はっきょうしかけた事ことさえあります。自分じぶんは、いったい幸福こうふくなのでしょうか。自分じぶんは小ちいさい時ときから、実じつにしばしば、仕合しあわせ者ものだと人ひとに言いわれて来きましたが、自分じぶんではいつも地獄じごくの思おもいで、かえって、自分じぶんを仕合しあわせ者ものだと言いったひとたちのほうが、比較ひかくにも何なにもならぬくらいずっとずっと安楽あんらくなように自分じぶんには見みえるのです。

自分じぶんには、禍わざわいのかたまりが十じゅっ個こあって、その中なかの一個いっこでも、隣人りんじんが脊負せおったら、その一個いっこだけでも充分じゅうぶんに隣人りんじんの生命せいめい取とりになるのではあるまいかと、思おもった事ことさえありました。

つまり、わからないのです。隣人りんじんの苦くるしみの性質せいしつ、程度ていどが、まるで見当けんとうつかないのです。プラクテカルな苦くるしみ、ただ、めしを食くえたらそれで解決かいけつできる苦くるしみ、しかし、それこそ最もっとも強つよい痛苦つうくで、自分じぶんの例れいの十じゅっ個この禍わざわいなど、吹ふっ飛とんでしまう程ほどの、凄惨せいさんな阿鼻あび地獄じごくなのかも知しれない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺じさつもせず、発狂はっきょうもせず、政党せいとうを論ろんじ、絶望ぜつぼうせず、屈くっせず生活せいかつのたたかいを続つづけて行いける、苦くるしくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかもそれを当然とうぜんの事ことと確信かくしんし、いちども自分じぶんを疑うたがった事ことが無ないんじゃないか?それなら、楽らくだ、しかし、人間にんげんというものは、皆みなそんなもので、またそれで満点まんてんなのではないかしら、わからない、……夜よるはぐっすり眠ねむり、朝あさは爽快そうかいなのかしら、どんな夢ゆめを見みているのだろう、道みちを歩あるきながら何なにを考かんがえているのだろう、金かね?まさか、それだけでも無ないだろう、人間にんげんは、めしを食くうために生いきているのだ、という説せつは聞きいた事ことがあるような気きがするけれども、金かねのために生いきている、という言葉ことばは、耳みみにした事ことが無ない、いや、しかし、ことに依よると、……いや、それもわからない、……考かんがえれば考かんがえるほど、自分じぶんには、わからなくなり、自分じぶんひとり全まったく変かわっているような、不安ふあんと恐怖きょうふに襲おそわれるばかりなのです。自分じぶんは隣人りんじんと、ほとんど会話かいわが出来できません。何なにを、どう言いったらいいのか、わからないのです。

そこで考かんがえ出だしたのは、道化どうけでした。

それは、自分じぶんの、人間にんげんに対たいする最後さいごの求愛きゅうあいでした。自分じぶんは、人間にんげんを極度きょくどに恐おそれていながら、それでいて、人間にんげんを、どうしても思おもい切きれなかったらしいのです。そうして自分じぶんは、この道化どうけの一線いっせんでわずかに人間にんげんにつながる事ことが出来できたのでした。おもてでは、絶たえず笑顔えがおをつくりながらも、内心ないしんは必死ひっしの、それこそ千せん番ばんに一番いちばんの兼かね合あいとでもいうべき危機きき一髪いっぱつの、油汗あぶらあせ流ながしてのサーヴィスでした。

自分じぶんは子供こどもの頃ころから、自分じぶんの家族かぞくの者ものたちに対たいしてさえ、彼かれ等らがどんなに苦くるしく、またどんな事ことを考かんがえて生いきているのか、まるでちっとも見当けんとうつかず、ただおそろしく、その気きまずさに堪たえる事ことが出来できず、既すでに道化どうけの上手じょうずになっていました。つまり、自分じぶんは、いつのまにやら、一言ひとことも本当ほんとうの事ことを言いわない子こになっていたのです。

その頃ころの、家族かぞくたちと一緒いっしょにうつした写真しゃしんなどを見みると、他ほかの者ものたちは皆みなまじめな顔かおをしているのに、自分じぶんひとり、必かならず奇妙きみょうに顔かおをゆがめて笑わらっているのです。これもまた、自分じぶんの幼おさなく悲かなしい道化どうけの一種いっしゅでした。

また自分じぶんは、肉親にくしんたちに何なにか言いわれて、口応くちごたえした事ことはいちども有ありませんでした。そのわずかなおこごとは、自分じぶんには霹靂へきれきの如ごとく強つよく感かんぜられ、狂くるうみたいになり、口応くちごたえどころか、そのおこごとこそ、謂いわば万世ばんせい一系いっけいの人間にんげんの「真理しんり」とかいうものに違ちがいない、自分じぶんにはその真理しんりを行おこなう力ちからが無ないのだから、もはや人間にんげんと一緒いっしょに住すめないのではないかしら、と思おもい込こんでしまうのでした。だから自分じぶんには、言いい争あらそいも自己じこ弁解べんかいも出来できないのでした。人ひとから悪わるく言いわれると、いかにも、もっとも、自分じぶんがひどい思おもい違ちがいをしているような気きがして来きて、いつもその攻撃こうげきを黙もくして受うけ、内心ないしん、狂くるうほどの恐怖きょうふを感かんじました。

それは誰だれでも、人ひとから非難ひなんせられたり、怒おこられたりしていい気持きもちがするものでは無ないかも知しれませんが、自分じぶんは怒おこっている人間にんげんの顔かおに、獅子ししよりも鰐わによりも竜りゅうよりも、もっとおそろしい動物どうぶつの本性ほんしょうを見みるのです。ふだんは、その本性ほんしょうをかくしているようですけれども、何なにかの機会きかいに、たとえば、牛うしが草原そうげんでおっとりした形かたちで寝ねていて、突如とつじょ、尻尾しっぽでピシッと腹はらの虻あぶを打うち殺ころすみたいに、不意ふいに人間にんげんのおそろしい正体しょうたいを、怒いかりに依よって暴露ばくろする様子ようすを見みて、自分じぶんはいつも髪かみの逆立さかだつほどの戦慄せんりつを覚おぼえ、この本性ほんしょうもまた人間にんげんの生いきて行いく資格しかくの一ひとつなのかも知しれないと思おもえば、ほとんど自分じぶんに絶望ぜつぼうを感かんじるのでした。

人間にんげんに対たいして、いつも恐怖きょうふに震ふるいおののき、また、人間にんげんとしての自分じぶんの言動げんどうに、みじんも自信じしんを持もてず、そうして自分じぶんひとりの懊悩おうのうは胸むねの中なかの小箱こばこに秘ひめ、その憂鬱ゆううつ、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠かくして、ひたすら無邪気むじゃきの楽天らくてん性せいを装よそおい、自分じぶんはお道化どうけたお変人へんじんとして、次第しだいに完成かんせいされて行いきました。

何なんでもいいから、笑わらわせておればいいのだ、そうすると、人間にんげんたちは、自分じぶんが彼かれ等らの所謂いわゆる「生活せいかつ」の外そとにいても、あまりそれを気きにしないのではないかしら、とにかく、彼等かれら人間にんげんたちの目障めざわりになってはいけない、自分じぶんは無むだ、風ふうだ、空からだ、というような思おもいばかりが募つのり、自分じぶんはお道化どうけに依よって家族かぞくを笑わらわせ、また、家族かぞくよりも、もっと不可解ふかかいでおそろしい下男げなんや下女げじょにまで、必死ひっしのお道化どうけのサーヴィスをしたのです。

自分じぶんは夏なつに、浴衣ゆかたの下したに赤あかい毛糸けいとのセエターを着きて廊下ろうかを歩あるき、家中いえじゅうの者ものを笑わらわせました。めったに笑わらわない長兄ちょうけいも、それを見みて噴ふき出だし、

「それあ、葉はちゃん、似合にあわない」

と、可愛かわいくてたまらないような口調くちょうで言いいました。なに、自分じぶんだって、真夏まなつに毛糸けいとのセエターを着きて歩あるくほど、いくら何なんでも、そんな、暑あつさ寒さむさを知しらぬお変人へんじんではありません。姉あねの脚絆れぎんすを両腕りょううでにはめて、浴衣ゆかたの袖口そでぐちから覗のぞかせ、以もってセエターを着きているように見みせかけていたのです。

自分じぶんの父ちちは、東京とうきょうに用事ようじの多おおいひとでしたので、上野うえのの桜木町さくらぎちょうに別荘べっそうを持もっていて、月つきの大半たいはんは東京とうきょうのその別荘べっそうで暮くらしていました。そうして帰かえる時ときには家族かぞくの者ものたち、また親戚しんせきの者ものたちにまで、実じつにおびただしくお土産みやげを買かって来くるのが、まあ、父ちちの趣味しゅみみたいなものでした。

いつかの父ちちの上京じょうきょうの前夜ぜんや、父ちちは子供こどもたちを客間きゃくまに集あつめ、こんど帰かえる時ときには、どんなお土産みやげがいいか、一人々々ひとりひとりに笑わらいながら尋たずね、それに対たいする子供こどもたちの答こたえをいちいち手帖てちょうに書かきとめるのでした。父ちちが、こんなに子供こどもたちと親したしくするのは、めずらしい事ことでした。

「葉蔵ようぞうは?」

と聞きかれて、自分じぶんは、口くちごもってしまいました。

何なにが欲ほしいと聞きかれると、とたんに、何なにも欲ほしくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分じぶんを楽たのしくさせてくれるものなんか無ないんだという思おもいが、ちらと動うごくのです。と、同時どうじに、人ひとから与あたえられるものを、どんなに自分じぶんの好このみに合あわなくても、それを拒こばむ事ことも出来できませんでした。イヤな事ことを、イヤと言いえず、また、好すきな事ことも、おずおずと盗ぬすむように、極きわめてにがく味あじわい、そうして言いい知しれぬ恐怖きょうふ感かんにもだえるのでした。つまり、自分じぶんには、二者にしゃ選一せんいつの力ちからさえ無なかったのです。これが、後年こうねんに到いたり、いよいよ自分じぶんの所謂いわゆる「恥はじの多おおい生涯しょうがい」の、重大じゅうだいな原因げんいんともなる性癖せいへきの一ひとつだったように思おもわれます。

自分じぶんが黙だまって、もじもじしているので、父ちちはちょっと不ふ機嫌きげんな顔かおになり、

「やはり、本ほんか。浅草あさくさの仲店なかみせにお正月しょうがつの獅子しし舞まいのお獅子しし、子供こどもがかぶって遊あそぶのには手頃てごろな大おおきさのが売うっていたけど、欲ほしくないか」

欲ほしくないか、と言いわれると、もうダメなんです。お道化どうけた返事へんじも何なにも出来できやしないんです。お道化どうけ役者やくしゃは、完全かんぜんに落第らくだいでした。

「本ほんが、いいでしょう」

長兄ちょうけいは、まじめな顔かおをして言いいました。

「そうか」

父ちちは、興覚きょうざめ顔かおに手帖てちょうに書かきとめもせず、パチと手帖てちょうを閉とじました。

何なんという失敗しっぱい、自分じぶんは父ちちを怒おこらせた、父ちちの復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違ちがいない、いまのうちに何なんとかして取とりかえしのつかぬものか、とその夜よる、蒲団ふとんの中なかでがたがた震ふるえながら考かんがえ、そっと起おきて客間きゃくまに行いき、父ちちが先刻せんこく、手帖てちょうをしまい込こんだ筈はずの机つくえの引ひき出だしをあけて、手帖てちょうを取とり上あげ、パラパラめくって、お土産みやげの注文ちゅうもん記入きにゅうの個所かしょを見みつけ、手帖てちょうの鉛筆えんぴつをなめて、シシマイ、と書かいて寝ねました。自分じぶんはその獅子しし舞まいのお獅子ししを、ちっとも欲ほしくは無なかったのです。かえって、本ほんのほうがいいくらいでした。けれども、自分じぶんは、父ちちがそのお獅子ししを自分じぶんに買かって与あたえたいのだという事ことに気きがつき、父ちちのその意向いこうに迎合げいごうして、父ちちの機嫌きげんを直なおしたいばかりに、深夜しんや、客間きゃくまに忍しのび込こむという冒険ぼうけんを、敢あえておかしたのでした。

そうして、この自分じぶんの非常ひじょうの手段しゅだんは、果はたして思おもいどおりの大だい成功せいこうを以もって報むくいられました。やがて、父ちちは東京とうきょうから帰かえって来きて、母ははに大声おおごえで言いっているのを、自分じぶんは子供部屋こどもべやで聞きいていました。

「仲店なかみせのおもちゃ屋やで、この手帖てちょうを開ひらいてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書かいてある。これは、私わたしの字じではない。はてな?と首くびをかしげて、思おもい当あたりました。これは、葉蔵ようぞうのいたずらですよ。あいつは、私わたしが聞きいた時ときには、にやにやして黙だまっていたが、あとで、どうしてもお獅子ししが欲ほしくてたまらなくなったんだね。何なにせ、どうも、あれは、変かわった坊主ぼうずですからね。知しらん振ぷりして、ちゃんと書かいている。そんなに欲ほしかったのなら、そう言いえばよいのに。私わたしは、おもちゃ屋やの店先みせさきで笑わらいましたよ。葉蔵ようぞうを早はやくここへ呼よびなさい」

また一方いっぽう、自分じぶんは、下男げなんや下女げじょたちを洋室ようしつに集あつめて、下男げなんのひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎いなかではありましたが、その家いえには、たいていのものが、そろっていました)自分じぶんはその出鱈目でたらめの曲きょくに合あわせて、インデヤンの踊おどりを踊おどって見みせて、皆みなを大笑おおわらいさせました。次兄じけいは、フラッシュを焚たいて、自分じぶんのインデヤン踊おどりを撮影さつえいして、その写真しゃしんが出来できたのを見みると、自分じぶんの腰布こしぬの(それは更紗さらさの風呂敷ふろしきでした)の合あわせ目めから、小ちいさいおチンポが見みえていたので、これがまた家中いえじゅうの大笑おおわらいでした。自分じぶんにとって、これまた意外いがいの成功せいこうというべきものだったかも知しれません。

自分じぶんは毎月まいつき、新刊しんかんの少年しょうねん雑誌ざっしを十冊じゅっさつ以上いじょうも、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本ほんを東京とうきょうから取とり寄よせて黙だまって読よんでいましたので、メチャラクチャラ博士はかせだの、また、ナンジモンジ博士はかせなどとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談かいだん、講談こうだん、落語らくご、江戸えど小咄こばなしなどの類たぐいにも、かなり通つうじていましたから、剽軽ひょうきんな事ことをまじめな顔かおをして言いって、家いえの者ものたちを笑わらわせるのには事ことを欠かきませんでした。

しかし、嗚呼ああ、学校がっこう!

自分じぶんは、そこでは、尊敬そんけいされかけていたのです。尊敬そんけいされるという観念かんねんもまた、甚はなはだ自分じぶんを、おびえさせました。ほとんど完全かんぜんに近ちかく人ひとをだまして、そうして、或あるひとりの全知ぜんち全能ぜんのうの者ものに見破みやぶられ、木こっ葉ぱみじんにやられて、死しぬる以上いじょうの赤恥あかはじをかかせられる、それが、「尊敬そんけいされる」という状態じょうたいの自分じぶんの定義ていぎでありました。人間にんげんをだまして、「尊敬そんけいされ」ても、誰だれかひとりが知しっている、そうして、人間にんげんたちも、やがて、そのひとりから教おしえられて、だまされた事ことに気きづいた時とき、その時ときの人間にんげんたちの怒いかり、復讐ふくしゅうは、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像そうぞうしてさえ、身みの毛けがよだつ心地ここちがするのです。

自分じぶんは、金持かねもちの家いえに生うまれたという事ことよりも、俗ぞくにいう「できる」事ことに依よって、学校がっこう中ちゅうの尊敬そんけいを得えそうになりました。自分じぶんは、子供こどもの頃ころから病弱びょうじゃくで、よく一ひとつき二ふたつき、また一いち学年がくねんちかくも寝込ねこんで学校がっこうを休やすんだ事ことさえあったのですが、それでも、病やみ上あがりのからだで人力じんりき車しゃに乗のって学校がっこうへ行いき、学年がくねん末まつの試験しけんを受うけてみると、クラスの誰だれよりも所謂いわゆる「できて」いるようでした。からだ具合ぐあいのよい時ときでも、自分じぶんは、さっぱり勉強べんきょうせず、学校がっこうへ行いっても授業じゅぎょう時間じかんに漫画まんがなどを書かき、休憩きゅうけい時間じかんにはそれをクラスの者ものたちに説明せつめいして聞きかせて、笑わらわせてやりました。また、綴つづり方かたには、滑稽こっけい噺ばなしばかり書かき、先生せんせいから注意ちゅういされても、しかし、自分じぶんは、やめませんでした。先生せんせいは、実じつはこっそり自分じぶんのその滑稽こっけい噺ばなしを楽たのしみにしている事ことを自分じぶんは、知しっていたからでした。或ある日ひ、自分じぶんは、れいに依よって、自分じぶんが母ははに連つれられて上京じょうきょうの途中とちゅうの汽車きしゃで、おしっこを客車きゃくしゃの通路つうろにある痰壺たんつぼにしてしまった失敗しっぱい談だん(しかし、その上京じょうきょうの時ときに、自分じぶんは痰壺たんつぼと知しらずにしたのではありませんでした。子供こどもの無邪気むじゃきをてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲かなしそうな筆致ひっちで書かいて提出ていしゅつし、先生せんせいは、きっと笑わらうという自信じしんがありましたので、職員しょくいん室しつに引ひき揚あげて行いく先生せんせいのあとを、そっとつけて行いきましたら、先生せんせいは、教室きょうしつを出でるとすぐ、自分じぶんのその綴つづり方かたを、他ほかのクラスの者ものたちの綴つづり方かたの中なかから選えらび出だし、廊下ろうかを歩あるきながら読よみはじめて、クスクス笑わらい、やがて職員しょくいん室しつにはいって読よみ終おえたのか、顔かおを真赤まっかにして大声おおごえを挙あげて笑わらい、他ほかの先生せんせいに、さっそくそれを読よませているのを見みとどけ、自分じぶんは、たいへん満足まんぞくでした。

お茶目ちゃめ。

自分じぶんは、所謂いわゆるお茶目ちゃめに見みられる事ことに成功せいこうしました。尊敬そんけいされる事ことから、のがれる事ことに成功せいこうしました。通信つうしん簿ぼは全ぜん学科がっかとも十じゅう点てんでしたが、操行そうこうというものだけは、七なな点てんだったり、六ろく点てんだったりして、それもまた家中いえじゅうの大笑おおわらいの種たねでした。

けれども自分じぶんの本性ほんしょうは、そんなお茶目ちゃめさんなどとは、凡およそ対蹠的たいせきてきなものでした。その頃ころ、既すでに自分じぶんは、女中じょちゅうや下男げなんから、哀かなしい事ことを教おしえられ、犯おかされていました。幼少ようしょうの者ものに対たいして、そのような事ことを行おこなうのは、人間にんげんの行おこない得える犯罪はんざいの中なかで最もっとも醜悪しゅうあくで下等かとうで、残酷ざんこくな犯罪はんざいだと、自分じぶんはいまでは思おもっています。しかし、自分じぶんは、忍しのびました。これでまた一ひとつ、人間にんげんの特質とくしつを見みたというような気持きもちさえして、そうして、力無ちからなく笑わらっていました。もし自分じぶんに、本当ほんとうの事ことを言いう習慣しゅうかんがついていたなら、悪わるびれず、彼かれ等らの犯罪はんざいを父ちちや母ははに訴うったえる事ことが出来できたのかも知しれませんが、しかし、自分じぶんは、その父ちちや母ははをも全部ぜんぶは理解りかいする事ことが出来できなかったのです。人間にんげんに訴うったえる、自分じぶんは、その手段しゅだんには少すこしも期待きたいできませんでした。父ちちに訴うったえても、母ははに訴うったえても、お巡まわりに訴うったえても、政府せいふに訴うったえても、結局けっきょくは世渡よわたりに強つよい人ひとの、世間せけんに通とおりのいい言いいぶんに言いいまくられるだけの事ことでは無ないかしら。

必かならず片かた手落ておちのあるのが、わかり切きっている、所詮しょせん、人間にんげんに訴うったえるのは無駄むだである、自分じぶんはやはり、本当ほんとうの事ことは何なにも言いわず、忍しのんで、そうしてお道化どうけをつづけているより他ほか、無ない気持きもちなのでした。

なんだ、人間にんげんへの不信ふしんを言いっているのか?へえ?お前まえはいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人ひとも或あるいはあるかも知しれませんが、しかし、人間にんげんへの不信ふしんは、必かならずしもすぐに宗教しゅうきょうの道みちに通つうじているとは限かぎらないと、自分じぶんには思おもわれるのですけど。現げんにその嘲笑ちょうしょうする人ひとをも含ふくめて、人間にんげんは、お互たがいの不信ふしんの中なかで、エホバも何なにも念頭ねんとうに置おかず、平気へいきで生いきているではありませんか。やはり、自分じぶんの幼少ようしょうの頃ころの事ことでありましたが、父ちちの属ぞくしていた或ある政党せいとうの有名人ゆうめいじんが、この町まちに演説えんぜつに来きて、自分じぶんは下男げなんたちに連つれられて劇場げきじょうに聞ききに行いきました。満員まんいんで、そうして、この町まちの特とくに父ちちと親したしくしている人ひとたちの顔かおは皆みな、見みえて、大おおいに拍手はくしゅなどしていました。演説えんぜつがすんで、聴衆ちょうしゅうは雪ゆきの夜道よみちを三々さんさん五々ごごかたまって家路いえじに就つき、クソミソに今夜こんやの演説えんぜつ会かいの悪口わるくちを言いっているのでした。中なかには、父ちちと特とくに親したしい人ひとの声こえもまじっていました。父ちちの開会かいかいの辞じも下手へた、れいの有名人ゆうめいじんの演説えんぜつも何なにが何なにやら、わけがわからぬ、とその所謂いわゆる父ちちの「同志どうしたち」が怒声どせいに似にた口調くちょうで言いっているのです。そうしてそのひとたちは、自分じぶんの家いえに立たち寄よって客間きゃくまに上あがり込こみ、今夜こんやの演説えんぜつ会かいは大だい成功せいこうだったと、しんから嬉うれしそうな顔かおをして父ちちに言いっていました。下男げなんたちまで、今夜こんやの演説えんぜつ会かいはどうだったと母ははに聞きかれ、とても面白おもしろかった、と言いってけろりとしているのです。演説えんぜつ会かいほど面白おもしろくないものはない、と帰かえる途々みちみち、下男げなんたちが嘆なげき合あっていたのです。

しかし、こんなのは、ほんのささやかな一いち例れいに過すぎません。互たがいにあざむき合あって、しかもいずれも不思議ふしぎに何なんの傷きずもつかず、あざむき合あっている事ことにさえ気きがついていないみたいな、実じつにあざやかな、それこそ清きよく明あかるくほがらかな不信ふしんの例れいが、人間にんげんの生活せいかつに充満じゅうまんしているように思おもわれます。けれども、自分じぶんには、あざむき合あっているという事ことには、さして特別とくべつの興味きょうみもありません。自分じぶんだって、お道化どうけに依よって、朝あさから晩ばんまで人間にんげんをあざむいているのです。自分じぶんは、修身しゅうしん教科書的きょうかしょてきな正義せいぎとか何なんとかいう道徳どうとくには、あまり関心かんしんを持もてないのです。自分じぶんには、あざむき合あっていながら、清きよく明あかるく朗ほがらかに生いきている、或あるいは生いき得える自信じしんを持もっているみたいな人間にんげんが難解なんかいなのです。人間にんげんは、ついに自分じぶんにその妙諦みょうていを教おしえてはくれませんでした。それさえわかったら、自分じぶんは、人間にんげんをこんなに恐怖きょうふし、また、必死ひっしのサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間にんげんの生活せいかつと対立たいりつしてしまって、夜々よよの地獄じごくのこれほどの苦くるしみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり、自分じぶんが下男げなん下女げじょたちの憎にくむべきあの犯罪はんざいをさえ、誰だれにも訴うったえなかったのは、人間にんげんへの不信ふしんからではなく、また勿論もちろんクリスト主義しゅぎのためでもなく、人間にんげんが、葉蔵ようぞうという自分じぶんに対たいして信用しんようの殻からを固かたく閉とじていたからだったと思おもいます。父母ふぼでさえ、自分じぶんにとって難解なんかいなものを、時折ときおり、見みせる事ことがあったのですから。

そうして、その、誰だれにも訴うったえない、自分じぶんの孤独こどくの匂においが、多おおくの女性じょせいに、本能ほんのうに依よって嗅かぎ当あてられ、後年こうねんさまざま、自分じぶんがつけ込こまれる誘因ゆういんの一ひとつになったような気きもするのです。

つまり、自分じぶんは、女性じょせいにとって、恋こいの秘密ひみつを守まもれる男おとこであったというわけなのでした。